断食は食品ロス問題を解決する
こんにちは。玄龍です。
満月、新月を目安に三日前から断食をしています。その感想を今日は書いてみます。
我々が行っている断食は満月、新月三日前から断食に入り満月、新月の日に合わせて最終断食日を終了するというものです。
断食の方法はシンプル。固形物は一切とらないということです。
なのでスープ類や果物をミキサーでジュースにすることは問題ありません。
(今回はカボチャスープのほかにホウレンソウスープをデトックスレシピに)
アーユルヴェーダでは身体の消化器官を休めることを大切にしています。
それを「アグニ」と呼んでいます。
アグニとは火の意味で消化や代謝を担うエネルギーのことです。
アグニ(酵素活性)のエネルギーが高まることで全身の代謝や消化が順調に進んでいくわけです。
断食は「アグニ」のエネルギーを高めることとも大いに関係してきます。
もうこれは私が声高に言わなくても「現代人は飽食」ですから、胃腸を休める暇がありません。例えば断食を今回も共にした、たけちゃんは約三十年間を胃腸を空にしたことがないわけです。三十年働きぱっなし・・・一日三食どころか・・お菓子やアイスやと・・笑
単純に考えても、これでは胃腸に負担がかかることは当然ですね。
そうすると「アーマ」というアーユルヴェーダで呼ばれる未消化、未熟という意味のエネルギーが発生します。この「アーマ」が心身の健康を崩していくのです。
アーユルヴェーダはインドの最古の医学ですが、極論をいえばバランスを大切にしています。
自然の森羅万象や心身はバランスから成り立ち常に変化しています。
そして変化するためにはエネルギーは完全燃焼される必要があるわけです。
未消化のまま残ると燃焼できずに不純物や老廃物として心身に影響を与える。
だから酷使しすぎている胃腸を単純に休めることで驚く程の心身の回復を呼び起こすことが可能となるのです。
私の体験談としては初日はだいたい眠気やだるさが襲ってきます。
これは今まで入ってきた食糧としてのエネルギーが急にストップすることで身体は警戒信号を鳴らすことで症状がでてきます。
蓄積しているエネルギーを余分に使わないという身体の智慧が働いて、結果エコモードに運転するようなものです。
二日目くらいからは空腹感は多少あるものの、身体がクールダウンした感じになります。
気温はたいして変わらないのに「あんまり暑くない感じ」がします。
これは消化するエネルギーはとても体内で大きな活動を普段していることが伺えます。
煮物料理をしていたら部屋のなかは暑くなるけど一旦火を止めたら部屋も涼しくなることと似ています。
また五感が冴えわたります。とくに嗅覚などです。
これは人間本来の「エサ」を食べるための本能が「呼びおこされている」のだと思います。
そして身体が軽やかになる感じも二日目の夜くらいには感じます。
また一日の時間が長くなるように感じるのも断食の特徴です。
まあご飯を食べる時間がないので当たり前と言えば当たり前ですが・・・
そして特筆すべきことは「睡眠時間が大幅に短縮される」
私は断食中は一日平均3時間くらいの睡眠で充分みたいです。
なので記事を書いたりヨガや瞑想をしたり読書をしたりと時間を有効に使用することができます。これは晩酌しないから眠れないのもあるでしょう・・・笑
それから断食中は料理レシピをたくさん見たり考えたりすることがあります。
これは当然空腹感からくる妄想の類でもありますが、これがとても楽しいものです。
断食が終わればスパイスカレーを作ろうとか・・料理をすることへの楽しみと感謝の念が自然に込み上げていきます。
そして断食中はスープを飲むだけでも「味わい尽くして」頂けます。
もうカボチャスープなんかは最高の断食デトックスレシピです。
普段は「味わい尽くす」感じというのを経験できません。私も普段は早食いのほうですが、断食中にはなぜか?自然に「ゆっくりと味わう」ことでマインドフルネス瞑想の食事になるのです。味わうことで本当の感謝や感動がうまれます。
これは「食べ物を大切にしなさい」という道徳倫理的な概念ではなく「体験」です。
心身をまるごと「対象」と溶けあわす三昧の行でもあるのです。
つまり「食べる者」と「食べられる物」が一体になりエネルギーを調和していく
エネルギーレベルでいえば「ただ溶け合い融合して調和していくだけの世界です」
でも「ただ溶け合うこと」は一体感を味わうことですから本来の一体感が持つ「至福」
「慈悲」が訪れます。
ヨーガではつながりを大切にします。
普段何気ないことで「つながっているのに気付かない」ことは私達の周囲にはたくさんあります。
だからヨガや仏教では自分のエゴをなくしていくことを説いています。
つまり、エゴがあれば「自分」と「他のもの」が分離しているという感じをうけるのです。
でも本当は私達はすべて繋がっているのです。誰一人として例外はありません。
そのつながりが「本当はあったんだ」ということを再認識するためにヨガや瞑想の行があります。断食ではいつも食べている「当たり前」のことが「当たり前」ではなくなる行です。
スープ一杯が身体の隅々まで沁みわたり細胞レベルまで喜びを感じることができます。
本当は食べ物という命と繋がりながら生を生きているのに「食べ物」を「食べ物と私」と分離することで心から深く味わえないのです。
殺生と供養の違いはここにあります。
私というエゴで食するものは例えオーガニックであれマクロビであれビーガンであれ生きてる命を頂くことには変わりはないから殺生です。
私をなくして自他の境を超越して食を頂くのはすべてが供養になります。
また私が活動しているフードバンクISEでは世界の食品ロスの問題を研究しています。
日本の食糧廃棄問題は深刻です。常に食糧廃棄率が上位の国だからです。
しかも食べれるのに捨てられる食糧は家庭ごみという現実です。
これも自他をわけて食を食べてるという傲慢さ、つまりエゴから発生する大きな問題です。
断食の大いなる意義は自分自身が「単純に健康になること」「病気を治すこと」だけではありません。
これはあくまでも身体を通して、小さな繋がりに気づいていくキッカケになるものです。
しかし小さな繋がりに気づくことは「大きな繋がりに気づくこと」への一歩でもあります。
食の大きな繋がりとは何でしょうか?
それは世界の飢餓問題であります。
例えば我々が実践している満月、新月に合わせて断食を月に6日間、日本国民がしたとします。
たけちゃんの試算によると
【日本の食糧消費量】
約9000万トン
【食品廃棄】
2775万トン(平成26年)
【食品ロス】(食べられるのに廃棄された)
621万トン(平成26年)
http://www.env.go.jp/press/103939.html
環境省
※9000万(消費全体)-2775万(廃棄)=6225万トン
【1日あたりの消費量】
6225万トン➗365日=17万トン
【1日の1人あたりの消費量】
17万トン➗約1億2600万人=
約1.3キロ
【断食月6日間の場合】
1.3キロ×6日=7.8キロ
7.8×1億2600万人=約98万トン
98万トン×12カ月=約1170万トン
年間約1170万トン消費が少なくて済む
厚労省によると穀物に換算すると一人あたり年間124キロで生きていけるから、1170万トンあれば、年間約9500万人分の食糧が余る
これは極端な統計ではありますが(乳幼児やこども、高齢者)などを考慮にいれていない。
でも1170万トンあれば、年間約9500万人分の食糧が余ることは事実なのです。
それでは世界の飢餓状況を見てみると
1. 世界では、およそ7億9,500万人(9人に1人)が、健康で活動的な生活を送るために必要かつ十分な食糧を得られていません。
2. 飢餓に苦しむ人々のほとんどは開発途上国に住んでいます。途上国では人口の12.9%が栄養不良です。
4. 地域別で最も飢餓人口の割合が高いのは、サハラ砂漠以南のアフリカです。この地域では、4人に1人が栄養不良です。
6. 開発途上国の子どもの6人に1人(約1億人)は低体重です。
※発育阻害……年齢の割に背が低いということで、慢性的栄養不良の代表的な症状
8. もし、女性の農業従事者に対し、男性の農業従事者と同程度の資源を提供することができれば、世界の飢餓人口は最大で1億5,000万人減らすことができます。
10. 空腹状態で学校に通う子ども6,600万人に学校給食を届けるために、国連WFPは年間32億ドルが必要になると試算しています。
この世界の飢餓問題というのは数字だけで比較するだけなほど単純ではないことは理解しています。
しかし断食することで最低でも日本国の食糧ロス問題や食糧廃棄率の問題を是正することには確実になります。何度も言いますが世界はつながっています。そこに気づくことが本当に大切ですし、その気づくためには実践の体験としての行が必要です。
断食は個人という小宇宙を調和することも可能であり、世界や宇宙のバランスに影響を与えることも可能なものです。
食への感謝を今一度感じてみませんか?
ということで今月は私と共に断食した方が三名
満月サットサン 2名
一人が一日断食することで貢献できる食品ロス 1.3キロ×3日=3,9㌔
合計2名×3,9㌔=7,8㌔
新垣玄龍
宮井威
新月サットサン 3名
一人が一日断食することで貢献できる食品ロス 1.3キロ×3日=3,9㌔
合計3名×3,9㌔=11,7㌔
新垣玄龍
宮井威
浅井靖子
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